発生日は2025年2月1日で、この日、病気やけがを負ったパレスチナ人の子ども50人の一行が、治療を受けるためガザのラファ国境検問所を通ってエジプトへの入国を開始した。

検問所が利用されたのは、イスラエルが約9カ月前に同地を制圧して以来初めてだった。土曜夜までに、ガザ保健省は子ども37人が越境したと発表した。約60人の家族が同行していた。提供された資料で説明されている映像には、負傷した子どもたちが担架で運ばれたり、エジプト側で救急車に乗せられたりした後、エルアリシュなどの病院へ緊急搬送される様子が映っていた。映像に登場した子どもの一人は、すでに片足を切断していた。

ラファが重要なのは、イスラエルに入らないガザ唯一の検問所だからだ。その再開は、イスラエルとハマスが前月に合意した停戦を後押しする重大な進展として示された。イスラエルは、ハマスがガザに拘束されていた最後の生存女性人質を解放した後、検問所の再開に同意した。ガザ域内では受けられない治療を子どもが必要としていた家族にとって、国境の再開は単なる外交的シグナルではなく、機能不全に陥った医療体制から脱出するための命を救う経路だった。

医療上の需要は、最初の移送団をはるかに上回る規模のままだった。資料によると、ガザ保健省は6,000人を超える患者が国外退避の準備を整えており、1万2,000人以上が緊急治療を必要としているとみていた。世界保健機関(WHO)のテドロス・アダノム・ゲブレイェスス事務局長はソーシャルメディアで、より迅速な医療避難に数千人の命がかかっていると述べた。これらの数字は、危機の規模と比べて最初の再開がいかに小規模だったかを浮き彫りにしている。

戦争によって、ガザの医療部門はすでに機能不全に陥っていた。AP通信の報道によると、過去15カ月間のイスラエル軍による爆撃と地上攻勢で、11万人を超えるパレスチナ人が負傷し、ほとんどの病院が稼働停止または大手術を実施できない状態にあった。戦争前、パレスチナ人は化学療法などの治療を受けるため、域外へ出る許可を日常的に申請していた。封鎖と戦争後に生じた破壊の双方によって、この制度の維持は一層困難になった。

国境をめぐる取り決め自体も、政治的に微妙な状態が続いた。イスラエル軍は依然としてラファとフィラデルフィア回廊沿いに駐留していた。イスラエルは、ハマスが検問所の管理を再開することを拒み、パレスチナ自治政府(PA)が正式に運営することも認めなかった。代わりに、以前PAの国境警備担当者として勤務していたガザのパレスチナ人が、公式の記章を着けずに検問所へ配置され、2007年以前と同様に欧州連合(EU)の監視員が立ち会うことになっていた。恒久的停戦とイスラエル軍の完全撤退を含む合意の次段階をめぐる交渉は、2日後に始まる予定だった。したがって、ラファの再開は安堵と警告の両方を意味した。ようやく移動できるようになった家族には安堵をもたらした一方、ガザをめぐる政治的枠組みの構築にはなお長い道のりがあるという警告でもあった。