# ネタニヤフ首相、1974年のシリア兵力引き離し協定は崩壊と表明、軍に緩衝地帯への進軍を命令

出来事の日付:2024年12月8日

イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は、シリアとの1974年兵力引き離し協定が「崩壊した」と述べ、占領下のゴラン高原にある緩衝地帯のシリア側へ進軍するようイスラエル軍に命じた。

The New Arabが報じたこの発表は、シリア国内が深刻な激動に見舞われるなか、シリアとの国境沿いでイスラエルが姿勢を一段と強硬化させたことを示している。報道によると、ネタニヤフ首相は国境地域を訪問した際に声明を出し、緩衝地帯とその近隣の要衝を占拠するよう軍に指示したと述べた。また、敵対的とする勢力が国境付近に足場を築くことをイスラエルは容認しないと主張した。

緩衝地帯は、イスラエル軍とシリア軍を隔てるため、1974年の停戦取り決めに基づいて設置された。それ以来、国連兵力引き離し監視軍が監視してきた。報道によると、ネタニヤフ首相は、シリア兵が陣地を放棄し、長年にわたる取り決めはもはや本来の形では機能できないと主張した。

この動きが重要なのは、兵力引き離し協定が約50年にわたり、イスラエルとシリアの国境で最も重要な安定化の仕組みの一つとなってきたからだ。両国は厳密には戦争状態のままだが、同協定と国連が巡回監視する緩衝地帯は、軍同士の直接的な接触を抑えるのに役立ってきた。協定が崩壊したとのいかなる宣言も、イスラエルが国境のシリア側の安全保障環境を形作るためにどこまで踏み込むつもりなのかという疑問を生じさせる。

ネタニヤフ首相はまた、この瞬間をより広範な地域的転換点と位置付け、イスラエルの行動をシリア国内のより大きな変化と結び付けた。報道によると、首相はバッシャール・アル=アサド政権の崩壊を歴史的な日と表現し、イランとヒズボラへの圧力がこの結果を生む一因になったと示唆した。またイスラエルは、シリアの内政への直接関与を避けながらシリアの民間人に人道支援を提供する「善隣」政策を進めるとも述べた。

表明された自制と軍事占領との対照は、この声明を理解するうえで中心的な要素である。一方で首相は、この動きをイスラエル国境を守るための防衛措置だと説明した。他方では、これまで正式な了解と国際的な監視によって管理されてきた区域内で、イスラエルが行動する意思を示した。紛争と政治的分断ですでに弱体化しているシリアにとって、確立された国境の取り決めが失われるか放棄されることは、不確実性を一段と深めるだろう。

報道は作戦上のあらゆる詳細について独立した検証を示してはいないが、外交・軍事上の主要なメッセージは明確である。ネタニヤフ首相は、この協定が時代遅れになったと公に宣言し、かつての緩衝地帯内の土地を占拠するよう軍に命じた。このことだけでも、中東で最も敏感な国境の一つにおける現状からの顕著な逸脱となる。