発生日:2024年11月8日。 モザンビークは、争いのある大統領選挙をめぐる抗議活動が3週間近く続く中、警察を支援するため兵士を派遣した。人権監視団体は、騒乱の弾圧で数十人が死亡したと報告した。ヒューマン・ライツ・ウォッチによると、10月19日から11月6日までに少なくとも30人が死亡したが、この数字には11月7日の大規模デモでの暴力は含まれていない。
モザンビークの民主主義・人権センターによる別の集計では、死者は全体で34人に上った。マプト中央病院によると、木曜日に首都で起きた衝突で3人が死亡し、66人が負傷した。同病院の成人救急部門責任者ディノ・ロペス氏は、このうち57人の負傷は銃器による可能性があると述べた。転倒で4人、身体的暴行で3人、刃物で2人が負傷した。患者の大半は25~35歳で、中には15歳の患者もいた。
デモは10月9日の選挙後に始まった。モザンビークの選挙当局は10月24日、与党候補のダニエル・チャポ氏が70%を超える得票で大統領選に勝利したと発表した。野党勢力と選挙監視団は、選挙は不公正で操作されたものだと主張した。結果が正式に承認されるために必要な憲法評議会の認証は、まだ行われていなかった。
投票後最大の抗議活動で、数千人のデモ参加者がマプトにバリケードを築き、火を放った。一部のデモ参加者が石を投げる中、警察は催涙ガスとゴム弾で応じた。人権団体は、モザンビーク警察が政治的デモ参加者に実弾を使用したと非難している一方、内相は、秩序を回復するために当局の行動は必要だったと擁護した。
軍報道官のオマル・サランガ将軍は、軍が公共の秩序と平和の維持にあたる治安機関を支援すると述べた。兵士と警察が街頭を巡回し、大統領官邸には厳重な警備が敷かれた。首都で不安と混乱が広がり、多くの住民が自宅にとどまる中での派遣となった。
この対立により、1975年のポルトガルからの独立以来モザンビークを統治してきたFRELIMO(モザンビーク解放戦線)への圧力が再び高まった。フィリペ・ニュシ大統領は、憲法で定められた2期の任期上限を務めた後に退任する予定で、チャポ氏が党の後継者に選ばれていた。批判派は、報告された選挙結果により、FRELIMOの統治が半世紀近くまで延びることになると述べた。
死者数の各集計は対象期間と情報源が異なり、直接比較することは難しかった。ヒューマン・ライツ・ウォッチの数字は11月7日の暴力より前で集計を終えていた一方、現地団体の総数はより広い範囲を対象としていた。病院の数字と治安部隊の派遣から明らかだったのは、政治的対立が危険な段階に入り、抗議者、当局、医療サービスが深刻化する影響に直面しているということだった。



