出来事の日付:2024年12月23日
ギリシャの旧王室メンバーがギリシャ国籍を回復し、数十年にわたって続き、長く法的・象徴的な宙ぶらりんの状態に置かれていた紛争に終止符が打たれた。官報に掲載され、金曜日付とされた政府の決定により、故コンスタンティノス2世国王とアンナ=マリア元王妃の5人の子ども、および孫5人を含む一族10人に国籍が付与された。
一族は、30年ぶりに国籍を回復したことは非常に感慨深いと述べ、自分たちから国籍を剥奪した1994年の法律によって無国籍状態に置かれたと説明した。この法律は、1974年の国民投票で王制が廃止された後、王室財産が国の管理下に移されたことをめぐる、それ以前の争いに続くものだった。今回の決定は、王制の終焉とともに始まり、旧王統が特別な法的地位を享受し続けるべきではないという国家の主張によって先鋭化した一章を閉じるものだ。
妥協の条件として、一族はいくつかの公的な譲歩をする必要があった。コンスタンティノスの子どもたちは、「ギリシャの」を意味するフランス語の姓「ド・グレス」を名乗ることに同意し、王権や称号に対する権利主張を放棄するとともに、同国が大統領制を採る議会制民主主義国家であることを正式に認めた。政府報道官のパブロス・マリナキス氏は、現在の同国には強固な民主主義と守られた憲法があり、法律は例外も但し書きもなく適用されると述べた。言い換えれば、国籍の回復には、王制が消滅したことを正式に受け入れるという条件が伴っていた。
この物語の人間的側面が重要なのは、コンスタンティノスが晩年になってようやくギリシャへ帰国した後、昨年82歳で死去したためだ。1964年から1973年までのその治世は論争の的であり続け、国外に去ったのは、後に崩壊した軍事独裁政権下のことだった。一族は欧州の王室とも深い結び付きがある。コンスタンティノスはスペインのソフィア王妃の弟で、チャールズ3世国王の又いとこ、ウィリアム王子の名付け親だった。こうしたつながりにより、ギリシャでの紛争は単なる国内の法的問題にとどまらないものとなったが、一族が共和国内で公的な役割を持たないという事実が変わることはなかった。
国籍回復の対象は、一族の幅広い範囲に及ぶ。コンスタンティノスの5人の子どもは、アレクシア、パブロス、ニコラオス、セオドラ、フィリッポスだ。パブロスの5人の子どもにも国籍が付与された。報道によると、アンナ=マリアは申請しなかった。こうした詳細は、今回の決定が王制の復活を目指すものではなく、正式な権力を失った後も公的生活の一部であり続けてきた一族の法的地位を解決するためのものであることを示している。
ギリシャにとって今回の措置は、王制をめぐる憲法上の議論を再燃させることなく、長年の懸案に終止符を打つことを意図したものに見える。一族は、1974年の国民投票の結果を尊重するとしている。政府は、共和制は十分に安定しており、王族の特権に対する権利主張には明確な終止符を打ちつつ、一族の国籍を認めることができると述べている。この決着と象徴性の組み合わせこそが、今回の決定に重みを与えている。
この妥協により、双方は最も望んでいたものを得る。一族は法的な帰属を取り戻し、共和制は王制との距離を保つ。この均衡があるからこそ、王統がギリシャの人々の記憶の一部であり続けるとしても、この決定は復活というより決着のように感じられる。



