2024年12月17日、デンマークは日本の引き渡し要請を拒否し、グリーンランドの刑務所に収容されていた反捕鯨活動家ポール・ワトソン氏を釈放した。世界各地の支持者から注目を集めた数カ月にわたる勾留が終わった。この決定により、ワトソン氏が南極海で2010年に起きた日本の捕鯨船との衝突に関連する容疑で日本へ送られることはない。
ワトソン氏は7月、船への燃料補給中にヌークで警察に逮捕されて以来、グリーンランドで勾留されていた。地元警察は、日本が国際刑事警察機構(インターポール)を通じて出した赤手配書に基づいて行動した。日本はワトソン氏を、船舶侵入の共謀、業務妨害、船舶損壊、乗組員への暴行で訴えていた。報じられた罪状では、最長15年の刑を科される可能性があった。デンマークの法相は、ワトソン氏がすでに勾留されていた5カ月間を、その後に科され得る刑期から差し引くことについて、東京から十分な保証が得られなかったと述べた。
この事件では、活動家としてのワトソン氏の長い経歴と、反捕鯨活動家との日本の長年にわたる対立が交錯した。ワトソン氏はグリーンピースの設立に協力し、その後はシー・シェパード海洋保護協会を率いた。何十年にもわたり捕鯨船団と直接対峙し、環境保護の支持者には英雄、政府や海運関係者には厄介者とみなされる評判を築いた。本人は日本側の容疑を否定し、釈放後には拘束を解かれ、クリスマスを前に日本への移送を免れたことを喜んでいると語った。
ワトソン氏の弁護士は、困難な勾留期間を経ての釈放を安堵すべきこととして受け止めるべきだと述べた。ワトソン氏自身は、最もつらかったのは幼い息子2人と引き離されたことだと語った。報道はまた、同氏が2012年にコスタリカの引き渡し令状に基づいてドイツで拘束されたものの、日本も身柄の引き渡しを求めていると知ると保釈中に逃亡したことにも触れている。それ以来、同氏はフランスや米国などで暮らしてきた。このことは、同氏をめぐる法的・政治的争いが、一つの法廷や一つの海岸にとどまったことはないという事実を改めて示している。
ワトソン氏の釈放は、身柄引き渡し事件が、当初の容疑と同じくらい手続きに左右され得ることも示している。デンマークは、2010年の捕鯨事件をめぐる根本的な争いが消滅したとは述べなかった。代わりに、日本が既に服した勾留期間を刑期に算入することについて十分な保証を示したかどうかに焦点を当てた。この違いが重要なのは、身柄引き渡しが被告の政治的立場ではなく、限定的な法的保護をめぐって決まる場合が多いためだ。ワトソン氏の事件では、この決定によって同氏は直ちに自由を得た一方、捕鯨、抗議手段、海上での法執行をめぐる、より大きな議論は未解決のまま残された。
より広い意味では、デンマークはグリーンランドでの勾留を、日本への移送につなげない選択をした。日本は2019年に国際捕鯨委員会を脱退して以来、自国の排他的経済水域内で商業捕鯨を続けている。ワトソン氏の支持者にとって、この判断は、時間の経過、刑期算入に関する保証の欠如、事件の政治的重要性がいずれも考慮されたことを最終的に認めるものと映った。日本にとって、根本となる容疑は何年にもわたり大陸をまたいで続いてきた争いの一部であり、今回の釈放はその歴史を終わらせるというより、展開する舞台を変えるものだ。



