バングラデシュのシェイク・ハシナ前首相に対抗する勢力は11月10日、首都でのアワミ連盟の集会開催を阻止した。この集会が実現していれば、同氏が8月に国外へ逃れて以来、同党にとって街頭復帰を目指す初の大規模な試みとなるはずだった。
AP通信によると、カレダ・ジア氏率いるバングラデシュ民族主義党の活動家と、保守派政党ジャマーアテ・イスラミのメンバーが、ハシナ氏の支持者らがダッカで集まる予定だった区域の大半を占拠した。数百人の学生デモ参加者も、集会の実施を認めないと表明した。この対立により、予定されていた催しは、数カ月にわたる混乱の後、旧与党がなおどれほどの大衆的な力を示せるのかを試す場となった。
この集会は、1987年11月10日に死亡した党活動家を追悼するために予定されていた。この日はアワミ連盟支持者が「民主主義の日」として記念している。しかしAP通信によると、反対派はこの催しを、8月の大規模蜂起で権力の座から追われたハシナ氏の党が、街頭で政治的復帰を果たそうとする試みとみていた。
ハシナ氏の失脚は、バングラデシュの政治情勢を一変させた。同氏の退陣は、長期統治に終止符を打った騒乱の波を受けたもので、その後は対立政党が、同氏が大衆の支持を再び勢いづかせるのを阻止しようと素早く動く時期に入った。集会が阻止されたことは、争いが正式な制度の枠を越えて街頭へ移ったことを示した。そこでは対立する集団が今なお、公共空間を正統性の尺度とみなしている。
AP通信によると、集会はBNP支持者、ジャマーアテ・イスラミの活動家、学生デモ参加者が一堂に会したことで阻止された。この連携は政治的に重要だった。これらの勢力はそれぞれ別個にハシナ氏と対立することが多かったが、同氏の公的な政治活動への復帰に抵抗する点では足並みをそろえたからだ。彼らのメッセージは明白だった。バングラデシュ政治をかつて特徴づけたような街頭での力を、前首相の政党が取り戻すことは認めないというものだ。
日付が持つ象徴性は、集会そのものと同じくらい重要だった。アワミ連盟にとって、11月10日の記念行事には、軍政に対する過去の民主化デモに結び付く歴史的な意味がある。ハシナ氏の反対派にとって、集会を認めれば、同党の権威が大きく弱まっているこの時期に、目に見える発信の場を与える危険があった。
AP通信の報道は、この出来事をバングラデシュの政治的移行という、より広い背景の中に位置付けた。ハシナ氏の国外逃亡以降、同国は不安定で予断を許さない状況に直面し、対立陣営が今後の方向性を定めようと競い合っている。集会を巡る争いは、こうした緊張が今なお合意ではなく、直接的な対立を通じて決着を図られていることを示している。
そのため、このダッカでの出来事は、一日のにらみ合いを超える重要性を持つ。ハシナ氏の政治的な将来が、法的・制度的な問題だけでなく、同氏の政党が公共の場で安全に集まり、発言し、組織化できるかどうかにも左右されることを示している。今のところ、同氏の反対派は街頭を利用不能にすることで、その問いに答えを示した。



