ニュージーランド・ヘラルドが報じたキーンギタンガ事務局の声明によると、現職のマオリ王キーンギ・トゥヘイティア・ポータタウ・テ・フェロフェロ7世は、2024年8月30日の発生日に、心臓手術からの回復中に死去した。69歳だった。
報道によると、トゥヘイティアは妻のマカウ・アリキと、子どもたちのファトゥモアナ、コロタンギ、ンガワイ・ホノ・イ・テ・ポに囲まれ、安らかに息を引き取った。事務局は、その死をテ・キーンギタンガの支持者、マオリ社会、そして国全体にとって大きな悲しみの時だと表現した。遺体はトゥランガワエワエ・マラエに5日間安置された後、埋葬のためタウピリ山へ運ばれる予定だとした。
トゥヘイティアは、母テ・アリキヌイ・デイム・テ・アタイランギカアフの死去を受け、2006年8月21日に即位した。ヘラルドの報道によると、最近、即位18周年を迎えたばかりだった。したがって、その死によって20年近くに及ぶ治世が終わり、マオリ王制運動であるキーンギタンガの存命中の中心的象徴が失われた。
報道に記された経歴の詳細は、その公的役割がいかに広範なものになっていたかも示している。単なる儀礼的存在ではなく、ニュージーランド国内外の主要行事でマオリの利益を代表する目立った存在でもあった。ヘラルドによると、2006年にはトンガのタウファアハウ・トゥポウ4世国王の葬儀に、2023年にはロンドンでチャールズ3世国王とカミラ王妃の戴冠式に出席し、2019年にはバチカンでフランシスコ教皇と面会した。また、カパ・ハカの大会「テ・マタティニ」を含む複数の団体の後援者を務めた。
1955年にハントリーでトゥヘイティア・パキとして生まれ、ワイカトとオークランドで教育を受けた。母の死後に王位を継ぎ、トゥヘイティア・ポータタウ・テ・フェロフェロ7世の称号を名乗った。その指導期は、マオリの政治的・文化的問題が国民的議論の中心であり続けた時期と重なり、純粋に伝統的な君主制をはるかに超える重要性をその役割に与えた。
ニュージーランド・ヘラルドの記事は、その死を家族の喪失であると同時に国家的な出来事として描いている。キーンギタンガの支持者にとって当面の関心事は、服喪期間、遺体の安置、そしてタウピリ山への移送となる。より広い国民にとっての意義は、マオリ王制運動の継続性を体現し、儀礼、外交、文化的アイデンティティーに関わる場面で同運動を代表した指導者が亡くなったことにある。
国王とマオリ王運動が大きく異なる形で君主制を共有する国において、トゥヘイティアの死はキーンギタンガにとって一つの章の終わりと新たな章の始まりを示す。今後は、継承手続きとマオリの各コミュニティーの反応が次の大きな焦点となる。



