発生日:2025年4月24日
バルセロナ大学の考古学者らは、カタルーニャ州タラゴナ県バイス郊外での発掘調査により、第二次ポエニ戦争の初期段階と長く関連づけられてきたイベリア人都市キッサの遺構を特定したと発表した。ビラル・デ・バイスにあるこの遺跡は、ローマとカルタゴの戦争に関する古代の記録で重要な位置を占めるにもかかわらず、長年にわたり謎とされてきた。
調査チームによると、証拠にはポエニの硬貨、バリスタの矢弾、大規模な戦闘と整合する広範囲の破壊跡が含まれる。報告によれば、これらの出土品は倒壊した家屋の内部から発見された。考古学者らはまた、現地で確認したものとキッサと呼ばれる場所への言及を比較するため、史料も利用した。発掘調査を指揮するジャウマ・ノゲラ氏は、考古学的資料と史料の読み解きを組み合わせることで、この遺跡を特定するには十分だったと述べた。
集落の規模も、この発見が注目される理由の一つだ。発掘調査から、キッサは約8ヘクタールに及び、およそ5,000人の住民を擁していた可能性が示唆されている。また、遺跡には3つの地区、防御壁、重要な排水設備があったとみられ、通りの一つには下水道網も設けられていた。調査チームにとって、これらは同市が点在する前哨拠点というより、相当な規模の都市中心地だったことを示している。
防御用の堀も大きな手掛かりの一つである。研究者らは、幅約14メートル、深さ5メートル、全長約400メートルだった可能性があると推定している。ノゲラ氏は、カタルーニャ最大とされるウリャストレトの堀に匹敵する可能性があると述べた。調査チームによれば、この堀は、防壁の存在と、攻撃に耐えるよう設計された要塞配置を示唆している。
歴史的な重要性は建築の範囲を超える。情報源によると、キッサは第二次ポエニ戦争中の紀元前218年、ローマとカルタゴが初めて衝突した場所であり、ハンニバル・バルカがこの地域を通過した際に都市の一部が破壊された。報告では、ポリュビオスやリウィウスをはじめとする古代の著述家が、キッサと呼ばれる場所の近くで起きた戦いを記述したとされている。このため、発掘調査は地域的な発見としてだけでなく、はるかに大きな歴史的物語の場所を確定する可能性がある点でも重要である。
このプロジェクト自体は新しいものではない。バルセロナ大学のGRACPE研究グループは、同大学とバイス市議会の協力に関連し、より広範なカタルーニャの研究プログラムを通じて資金提供を受けたプロジェクトの下、2014年に初めてこの遺跡を調査した。発掘チームによれば、出土品の質と量により、この遺跡は国際的な基準点となる可能性がある。
報告は、何が証明され、何が証明されていないのかについて、慎重な姿勢を保っている。キッサとの特定は、単一の遺物に基づく主張ではなく、発掘された資料、破壊層、史料との比較から導かれた結論として提示されている。正確な場所が何世紀にもわたって不明だった遺跡には、この慎重な手法がふさわしい。
特定をより確実にするためにさらなる発掘が必要だとしても、報告で説明された証拠は、この地域の歴史像を変えるのにすでに十分である。キッサと確認されれば、記録上長く確実性を欠いてきた遺跡に、名のある集落と戦時中の重大な出来事を位置づけることになる。そのため調査チームは、この発見を完結した物語ではなく、研究上の画期的成果と捉えている。考古学的証拠は一つの方向を指しているが、さらなる発掘によって、年代、破壊の規模、戦争における都市の正確な役割をなお明確にできるからだ。



